新潟に面する日本海は どこか哀愁があって暗い。
前に通った時は無かった民間パーキングに立ち寄ってみると デカい亀の親子が居た。
この地は「親知らず 子知らず」という難所として知られる岸壁の道を 富山や信州から多くの旅人が行き交い 知らぬ間に子どもが海に落ちても助けられないという過酷な話が残るところ。。。。
長年かけて道が整備され 今は 立派な道路が海の上を渡って建設されている。カメは親子の慰霊なのかもしれない。。

4月5日は新潟に一泊。。朝食のバイキングはもちろん「コシヒカリ」。。。お米の高騰の中 ホテルも大変だろうなぁ。。。
新潟の燕市と三条市は 昔から鍛冶の技術で世界に名だたる名品を生み出し 国内外に広めて来た。
燕市の方は技術に優れ 三条市は商品の拡販に優れていて 両市の間には譲れないブライドの壁があるようで この地の物産振興のために 敢えて「燕三条」というネーミングで歩み寄り協力しているらしい。
ノーベル賞授賞式のの晩餐会などで使われるカトラリーも全て ここで作られたものだとか。
左脳型のBOSSも右脳全開のトトロも しばし見入ってしまうステキな煌めき。。。金属なのに温かい本物がそこにはあった。
兼ねてから欲しかった コーヒー用のものを中心に BOSSの晩酌用カップや 色々目移りしつつ手にいれて 本物に感動した。
燕三条地場産センターは ホテルから見える近くにあった。

展示は全て 手に触れてもいいようになっていて 鋭利な包丁なども 子供の手の届くところにあり あちこちからスタッフさんがさり気なく見ていたし。、。、トトロも もちろん色々と触って見た。。。。
手の届かないのは値段だけ・・・・・・・。それでも お土産用も含めて少し手に入れた。だってここにしか無いんだものね。。満足。。。
老後は本物を使いこなそう。。。若い時は100均でも味は同じと錯覚するけどね。やっぱりモノにはオーラが宿る。

新潟の一般道をさらに北上していくと 道端には寝雪も消えずに残っていて 桜はまだ蕾、、、
ここは 毎回立ち寄る 村上市の 手作りの道の駅。村上市全体の醸し出す落ち着きと気品と温もりが なんだかとても好きなトトロ。
10年前に立ち寄った時と 手仕事の作品達のお値段が同じで その時買えなかったものがあって 今度こそ買えた。。嬉しかった。
お昼にここでいただいたお蕎麦に 今朝取れの「ふきのとう」の天ぷらが添えられていた。。ほろ苦く美味しく 新潟は早春。
写真はトトロが落ち込んでいるわけではなくて ちょっと寒いのに ご当地の美味しいソフトクリームをいただいているところ。
歳をとって良かったと思うのは 何でも二人で半分こで丁度いいところだ。昔は一人で一人前食べてたなぁ。。。。エコな年齢に拍手❣️

さらに 北へ。。。道は一般道で山形県の日本海沿い。 ここら辺はまもなく高速道路が出来るらしく この風情ある道の駅が残っているかどうかと 恐る恐る進んでいくと「あったーーーーー❣️」思わず拍手した。。。。
この道は 3度目。初めて来た時は 活気があってオシャレで エレベーターで上の展望台に行ったのに 二度目には少しさびれていて 中の土産物も減っていた。。。
で 今回は なんと活気がもどっているではないか。「息子さんが跡を継いだんじゃない?」などと勝手な想像をするトトロ達。
いずれにしても 元気を取り戻しているところを見ると こちらも嬉しくなって 中でふりかけなどを買った。。。。笑

さらに そのまま北へ走り 4月6日の宿は秋田の「由利本荘市」の新しいビジネスホテル。
ビジネスなのに豪華で 温泉までついていて このタペストリーには 外の樹木の枝ぶりが 日差しのシルエットで映り込むという凝った仕掛け。。。。細かいところのアートのこだわりに感心。

翌朝 秋田県に来たからには 田沢湖に行こうということに決めて なんと二人とも行った事のなかった田沢湖へ。。。

この 雪。時折 アラレも降ってくるし。。。いやー 北は寒かった。日本は広かった。。。。

湖畔の雑木林にふきのとう発見。。3つばかり採って 母に天ぷらを作ろうと思った。何故か主婦は持ってるレジ袋。。。笑

田沢湖は日本一深い湖。たつこ姫伝説があって 金色の「たつこ像」が湖を守っていた。
トトロはまず金色ということに驚き もっとデカいと思っていた思い込みも消えた。龍の化身だから金なのねー。
とても神秘的で 寒かった。冬の上着も持って行って良かったーーー・。・。・

昔から有名なのに来た事のない田沢湖。青森の十和田湖には行ったんだけど お隣の県ってなんだかわざわざ行かない説 アルアル。

東北は広いなぁ。。。走っても走っても東北。
この日の夕方 4月7日の16時頃 ようやく盛岡に着いた。3泊4日の北帰行。。。裏道を来たから それはそれで旅気分は満喫したけどね。

母 95歳。娘 71歳になるところ。よくぞ生きて会えました。
トトロが鳥取に嫁いだ翌年 大学生だった弟が二十歳で交通事故死してしまったから 両親はこの長い年月を二人で生きて来て 8年前に父が他界し 母は一人で頑張って来た。その間 トトロも母もお互いに 良いことしか連絡せず コッソリと入院したり手術したり 全て終えてから報告して来た。二人共 大病を乗り越え踏ん張って生きて来た。
暮らしの愚痴は何も言わず 周りに良くしてもらっていることだけ伝え アトリエの話をしては笑わせていた。
でも顔を見るまでは ザワザワしていてとてつもない老婆になっているかも。。。と想像したり。。。
顔を合わすなり トトロは「あらーーーお母さん 100も近いとは見えないねぇ。美人美人。。」と言うと母も「お前も70の婆さんには見えないよ。キレイキレイ。」と お互いに褒めてから「しかし二人とも 眼が悪くなったねー。。」と大笑い。笑った笑った。。。。
横でBOSSが呆れていた。笑
積もる話で笑い合い シビアな相談もやり遂げて 周りのヘルパーさんやドクターや 若い友人達に助けられつつ前向きに生きていた母と束の間のひととき。。安心と不安の入り混じる気持ちを前向きに切り替えて 約 1日半の滞在だった。またね 元気で。。と。さり気なく。。
一食だけ トトロの手料理を食べてもらうことも出来た。あのふきのとうも ちゃんと天ぷらにした。気丈な母だった。会えて良かった。
アトリエにいつも新人が入り 終われない仕事なこと。BOSSもおかげさまで 忙しい事など伝えきり 安心してもらった。
トトロはキャリアウーマンの母に代わり 小学生の頃から家の家事を任せられ みんなの食事も作っていたことが 今どんなに役に立っているかとお礼も言えた。当時は鬼母と思っていたけどね。・。・。過保護にされなかったから今があるのね。。。。ありがとう。

4月9日の昼過ぎ 盛岡に二泊しての帰り道 ふるさと村という土産物屋さんに寄って 鳥取のみんなにお土産を買った。
デカい南部鉄器と店員さんと一緒に。。。。岩手県はなんでもデカい。。。人々のノリも良い。

岩手山 サヨナラ ありがとう。また来るね。少しだけ雄大な故郷に触れて 賢治先生にも会えた気がした。
岩手山と小岩井農場の道を 一路西へ・・・・・9日の宿は 福島県の白河を目指して・・・・帰路は高速道路で一路鳥取へ。。。

・・・・・・・つづく
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