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2013年5月10日 (金)

旅・・・その2 盛岡編

1305102(盛岡駅へ到着)


盛岡の夕暮れは鳥取よりも30分早くて、駅のレンタカーの手続きをしている間にあたりはすっかり夜の街。20時30分に実家に到着した。いわゆる新興住宅街のはしりだった当時のご近所も住む人が随分いなくなられて趣きが変わった。

この3年間は東北を激変させた。三年前に来たときは車の旅で、途中富山の五箇山の合掌造りに立ち寄ったり、あちこち2泊もしながらのんびりと美しい早春の東北道を北へ北へと向かったものだった。まさか翌年風景が変わるようなことになろうとは思いもせずに。

気丈な両親は定期的にヘルパーさんたちのお世話になりながらどっこい明るく暮らしている。とても冷え込みのきつい夜だった。
翌日ボスの運転であちこち巡り、ちょうど満開の桜を眺めながらのドライブをしつつ、幼いころに遊んだ名所「高松の池」へ。高齢の両親はどちらも足が弱って歩けず車の中。松葉杖の私が一番歩ける状態だ。まあそれを悲観もせずそれなりに楽しそうに過ごして、お互いにいたわり合いながら桜を楽しんだ。盛岡のいいところ巡りをしてワハハと爆笑しながら春の風景に救われた。
1305101(盛岡市の桜の名所「高松の池」)


夜は先に送っておいたビデオデッキを設置して、ボスの夢街コンサートやら私の東北弁ライブを観てもらった。「向こうで、みんなを楽しませているんだな。」と安心してくれた。
じぇじぇじぇのあまちゃんの宮本信子キャラの母は,ヘルパーさんに朝ごはんをもてなしているらしく、あんまり言うと私に叱られるものだから、それでも小出しにする話からは、たまげた生活が垣間見られた。まあ、仕方ないか。ヘルパーさん達の話を聞いたり、元気づけたりしながら、自分は助けてもらってると感謝してるのはいいことだ。何年かごとにちょっとしか帰らない我が子よりはずっと頼りになるのだから。弟が私が鳥取に嫁いでから亡くなったものだから、どうすることも出来ずに二人だけの暮らしが延々とつづいているのだった。
そんな中を津波の被害に合った知り合いに援助の手を惜しまない態度に、あっぱれと思った。避難所にいる知人から連絡が入ったとき、「何が足りね?」と聞くと、「何にも無くなった。」と言われたという。物も家族も家もなんにも。とりあえず「耳かきと爪切りを送ってくれるとありがたい。」との頼みを聞いて絶句し、我が身を省みず母は友人に運転してもらって山のような物資を積んで現地にかけつけたという。自分が肺癌の手術をしたばかりだというのにだ。そしてありったけのお金も渡して、みんなを元気づけて来たらしい。まあ、いっか。人を助けようと思ったらありったけするんだぞ、と言ってワハハと笑う母だった。

家の冷蔵庫がでっかいのに変わっていたから開けてみると、つい私達の行く数日前にそのとき「耳かき・・」と言っていた三陸の人達から、少しずつ復興したからと、山ほどの魚と牡蠣とワカメが3箱も届いたそうな。それをまたヘルパーさん達とご近所に分けたとか。ヤレヤレ・・。「死ぬヒマないべ。」とのこと。あきれ顔で少し涙目で父はひと言。「お前達は似てるぞ。」オー、マイガ-ッド!!

私はポツリポツリとアトリエの話をして、自分のありったけでやっていることを報告した。「悔いなく子ども達とやるんだぞ。」 教育者として人生を貫いた父の顔は昨日よりはちょっとだけ昔の顔に戻ったように見えた。喜んだのかな・・。

さて、もう明日は帰る日となってさらに冷え込む夜もふけていった。・・・・つづく
1305103(雲の中から少し姿を現した岩手山)


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アトリエ日記」カテゴリの記事

コメント

素敵なお父様、お母様ですね。
トトロさんの原点ですね。
目が霞んで、うまく言葉が出てきません。
困っちゃいますね、これじゃ

くまきろり様
またウルッとさせてしまって ごめんなさい。
この話 どうしようかと迷いましたがそのまま書きました。
復興はまだまだのようです。でもなんだか東北の、とくに女の人は明るいですよね。みんなでちからを併せてどっこい未来を再生しようとするパワーに力をもらって来ました。ヘルパーさんに朝ごはんって・・・。もしかしたら私もやるかも。ヤレヤレ続きをお楽しみに−。

お気遣いありがとうございます。
どうも近頃涙もろくていけません。
お話そのまま書いて頂いてよかったです。
ヘルパーさんに朝ごはん、トトロさんやりそうですよ
続き楽しみにお待ちします。

くまきろり様
う~~~~~ん・・・・。やりそう。

あ~、懐かしいな岩手山。実は学生の頃、盛岡に住んでまして、高松の池近くのアパートに住んでました。よく池の周りを散歩してましたっけ。今の自分があるのは、岩手の豊かな自然のおかげかな?なんだか、また岩手に行きたくなりました!素晴らしい記事、ありがとうございます (^^)b

きつじー様
へぇーーー。そうでしたか。
もしかして 岩大? 弟も岩手大学でしたよ。
幼いころの家は高松の池の近くでした。上田小学校・上田中学校です。
鳥取砂丘の話といい 他人の気がしませんね。
曇っていて 岩手山はそれでも 精一杯姿をあらわしてくれました。

さすが!トトロ先生のお母様ですね。(´艸`*)
「女の人が元気な国はいい国だ」って、どなたのセリフでしたっけ。
よいしょっと、元気を出すのは、まずお母さんたちからですものね。(*^^)v

「高松の池」って、大好きな漫画「とりぱん」のなかによくでてくる「T松の池」ですね!
作者の「とりのなん子」さんが描く美しい岩手、そのお近くがご実家だったんですね。
ちょっと感激です。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

くまたろう様
わー ありがとうございます。くまたろうさん夜なべ仕事ですか?
とりばん から 入っていらっしゃるとは さすが 若いっ!!
T松の池は冬バシバシ凍って諏訪湖のようになり、みんなしてスケートでした。いゃー それにしても 母には脱帽。今回はケンカをしないですごすことができました。そちらもいろいろと なに なので ご無理せずにね。続きをお楽しみに。

おはようございます(* ̄0 ̄)ノ

「耳かきと爪切り・・・」・・・絶句・・・
同じく絶句しました。

でも皆さん生きてますねぇ、強いわ!

自然災害とは縁のない平穏な人生を過ごしてきましたが、地元の医師として奔走された方や消防の方の記録を読んで愕然とし、また感動で何だがあふれました。
公に出ることのないお母様のような方のお力もピラミッドを支える大きな底辺だったのですね。

はい、岩手大でしたよ(^^)b 岩手山の麓、小岩井周辺はよく出かけるお散歩コースでした。岩手の優しく、時に厳しい自然の中で育ったんですね。アトリエトトロさんが、なんであんなに優しい笑顔をされるのか、分かったような気がします。( ^ω^ )

こんばんは

いつも素敵なお話で感動をたくさんいただいております。
今回のお話…トトロさんのお母様とお父様のお話…
とてもとても心に沁みるお話で…
ポロポロ泣きながら読みました
元気のパワーを精神を子供たちにも伝えたいと思っています

あまちゃん大好きな我が家。
じぇじぇじぇは子供たちのお気に入りの言葉になりました

エノッチ さま
コメントありがとうございます。
ホントに どっこい 生きてます。
震災に遇った方たちは 自分がこんなに頑張る力があったとは知らなかった とおっしゃっています。
だから ひよっとして人間には 底力があるのかな、とも思いました。
わたしも がんばっぺ!!

りんふう 様
ありがとうございます。
表には出ない世界中からの無数の援助や 地元の子ども達の歌声や、小さな応援の気持ちが 津波の高さを超えて みんなを救ったそうです。直接話を伺って、わたしも そのことを 社会に伝えようと思いました。ココログの中だってこうして 温かく触れ合えるのですから 人は決して孤独なものではないと思いましたよ。大事なことは「SOS」を言えるかどうか かも知れませんね。

ずっか 様
ありがとうございます。
ずっかさんの子育てライフと同じように、物事を明るく見るか 悲観してしまうかで 人の幸福感が変わるとおもっています。ちなみにトトロは毎日が有り難すぎて 幸せなアトリエライフなのですが、文句ばかりの人もいっぱいいらっしゃいますよね。じぇじぇじぇーっ! と感動しながら楽しみたいですね。これからもよろしく!!

じぇじぇ

 ご両親との再会、良かったですね ^^ 震災時に、何が必要か?声を聞いて貰もらえ被災者の方の、心も落ち着いたのでは。。
 ヘルパーさんも仕事に行くのが楽しみ♪でしょう。。
 私も以前ヘルパー経験あり、最初は、他人が家の物を触るので婆ちゃまの心配の視線を意識しながら仕事してましたが、慣れてくると笑顔で迎えてくれて雑談を楽しみました。
 故郷の満開の桜が見れて今年は、ご両親と2度目の桜見ですね。。
 災害後を意識しながら、今を生きる強さを文章から、感じました。。

アナログ様
ありがとうございます。たくさんの親戚、知人が被災して、本当に遠くにいるから何にも出来ず後ろめたかったのですが、今回はじめて震災後の東北に行って、いっぱい感じて帰りました。

ヘルパーさん側に立つと、また違う見解なんでしょうけど みんな人間としてお付き合いすれば 10人10イロのパターンがあるんでしょうね。有り難く思っています。老いは避けられませんが、愛されているようでホッとしました。いやー きっと皆さんも色々なんでしょうね。自分の毎日をじぇじぇじえ と明るくやりたいものです。

かおる先生のホスピタル精神はお母さん譲りなんですね!

十十六衛門 殿
お誕生日おめでとう!!
コメントありがとうございます。

そうかも。きっとそのお母さんも そのまたお母さんも 父も そのお母さんも・・。みんなからの精神を受け継いで 一人の人間が居るのでしょう。ありがたいことです。私はアトリエのみんなに精神を受け渡したいと思ってますよ。

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